1960年代末のアメリカ・メイン州。緑豊かな片田舎にひっそりとたたずむ古めかしい母がかつて住んでいた屋敷に、母の姓マローボーンと苗字を変え4人兄妹が引っ越してきた。責任感の強い長男ジャック(ジョージ・マッケイ)、家族思いの長女ジェーン(ミア・ゴス)、頭に血がのぼりやすい次男ビリー(チャーリー・ヒートン)、まだ幼くて天真爛漫な末っ子サム(マシュー・スタッグ)。祖国イギリスでの悲惨な過去を捨てて彼らは、この人里離れた屋敷で新しい人生を踏み出そうとしていた。しかしその矢先、心優しい母親ローズ(ニコラ・ハリソン)が病に倒れ、この世を去ってしまう。「皆を守ってね。どんなときも」。ローズの遺言を胸に刻んだジャックは妹と弟たちに呼びかけ、「誰も絶対に僕たちを引き裂けない。僕らはひとつだ」と固く誓い合う。 すると間もなく、突然の銃声によって兄妹は恐怖のどん底に突き落とされる。イギリスで悪名を轟かせた凶悪殺人鬼の父親(トム・フィッシャー)が脱獄し、執念深く彼らを追ってきたのだ。ジェーンの絶叫を耳にしたジャックは、血も涙もない父親に敢然と立ち向かっていくのだった……。
6ヵ月後。ジャックが父親を殺害したことで、4兄妹は静かな日常を取り戻していた。それでもジャックの内心は穏やかでない。どこからともなく響いてくる不気味な物音、天井ににじみ出す異様な黒い染み。兄妹以外の誰かが徘徊しているような気配が漂うこの屋敷は、明らかに何かがおかしい。臆病なサムは暗がりや鏡に"オバケ"が現れるのではないかと、いつもビクビクしている。それは死んだ父親の呪いのせいなのか、それとも屋敷そのものに忌まわしい秘密が隠されているのか。不安げな妹や弟たちを案じたジャックは、母の死後に生まれた「成人になるまでは屋敷を離れてはならない」「鏡を覗いてはならない」「屋根裏部屋に近づいてはならない」「血で汚された箱に触れてはならない」「"何か"に見つかったら砦に避難しなくてはならない」という5つの"掟"を厳守するよう言い聞かせていた。 妹弟の親代わりを務めるプレッシャーに押しつぶされそうなジャックの心のよりどころは、地元の美しく聡明な女性アリー(アニャ・テイラー=ジョイ)の存在だ。ある日、街の図書館に務めるアリーのもとを訪ねたジャックだが、そこで弁護士のポーター(カイル・ソラー)から思いがけないことを告げられる。彼らが屋敷を正式に相続するために、母親ローズの署名と手数料200ドルが必要だというのだ。母親が死亡した事実を隠し、生活資金も残りわずかのジャックは動揺を隠せない。そして妹弟と相談した結果、ジェーンが母親の筆跡を真似て書類にサインし、父親が犯罪で稼いだ"箱"の中の大金に手をつけ、急場をしのぐことにする。しかし、それは「血で汚された箱に触れてはならない」という自分たちの掟に背く行為だった。
初めて掟を破ったその直後から、兄妹は次々と悪夢のような事態に見舞われていく。母親の部屋にこっそり入ったサムが、誤って鏡を覗いてしまい、得体の知れない影を目撃。掃除中に奇妙な音を聞いたジェーンは、天井裏に潜んでいた正体不明の何かの手に触れられ戦慄する。さらに、煙突から屋根裏部屋に忍び込んだビリーだが、屋根裏に潜む何かに襲われて重傷を負ってしまう。
果たしてマローボーン家の屋敷に潜む"何か"とは?
そしてジャックを容赦なく苛んできた本当の恐怖の正体とは……。
ここからネタバレ
『マローボーンの掟』のクライマックスには、それまで観客が認識していた世界観を根底から覆すどんでん返しが待ち受ける。
マローボーン家の4人兄妹と唯一交流がある人物であるアリーは、ジャックの日記を通して想像を絶する“衝撃の真実”を知ることになるのだ。
6ヵ月前に何があったのか?
映画の序盤、ジャック、ジェーン、ビリー、サムの4人兄妹は、母親ローズの死という悲劇を乗り越え、力を合わせて生きていくことを誓い合う。しかしその矢先、一発の銃声が彼らの運命を暗転させる。いち早く2階の窓から外を確認したジェーンが目の当たりにしたのは、ライフルを携えたひとりの男の姿。ジェーンが「ジャック!」と叫んで助けを求めたところで画面は暗転し、『Marrowbone』というタイトルのテロップが表示されたのち、映画は“6ヵ月後”へと時制がジャンプする。いったい何が省略されたのか。ここに本作の最大の秘密が隠されている。
ライフルの男の正体はマローボーン家の父親だった。母国イギリスで13人もの命を奪った凶悪強盗犯である父親は、警察に捕まりながらも脱獄し、執念深くジャックらを追いかけてアメリカに渡ってきたのだ。妹と弟たちを屋根裏部屋に避難させたジャックは、大金が入った“箱”を手渡すことで父親を追い払おうとするが、ひどい暴行を受けて崖下に転落してしまう。やがて意識を取り戻したジャックは屋根裏部屋に駆けつけるが、すでに妹と弟たちは無情にも父親に殺されていた。このとき屋根裏部屋の入り口には鍵がかかっており、父親は煙突から侵入したため、内部に閉じ込められる格好になっていた。
あらゆる苦楽を共にしてきた最愛の妹と弟たちを守れず、自分だけが生き残ってしまった罪悪感に打ちひしがれたジャックは自殺を決意。しかし、そのとき緊急時の避難場所の“砦”から歌声が聞こえてきて、死んだはずのジェーン、ビリー、サムが姿を現す。それは幻なのだが、この瞬間から耐えがたい心の傷を負ったジャックは現実を逸脱し、兄妹4人が仲むつまじく暮らす“架空の日常”を生きるようになる。
“6ヵ月前”以降に仕掛けられたトリックとは?
上記で解説したように、ジェーン、ビリー、サムは屋根裏部屋で父親に惨殺された。つまり“6ヵ月後”以降に登場する彼ら3人は、ジャックの脳内だけに存在する幻想だったのだ。ジャックはその秘密を守るために、母親の病気を口実にして恋人のアリーさえも屋敷から遠ざけていった。劇中では外界からの唯一の訪問者である弁護士のポーターを、兄妹4人が協力し合って追い返そうとするように描かれているが、実際にポーターと対面したのはジャックだけ。のちに医師から多重人格と診断されるジャックは“ひとり4役”を演じていたのだ。
そして4人は「鏡を覗いてはならない」という掟を守って暮らしているが、それはジャックが自分自身に課した掟である。なぜなら、もしもサムになりきっているときに鏡を見てしまったら、当然そこに映っているのは“サムを演じているジャック”であり、その途端にジャックは現実に引き戻されてしまう。中盤、サムが母親の部屋でクローゼットの鏡の中にシーツを被った“オバケ”を目撃するシーンがあるが、もちろんそのオバケの正体はジャックである。
このように涙ぐましいほど細心の注意を払い、恋人アリーの存在を心の支えにして“架空の日常”を生きているジャックだが、危機に直面すると激しい頭痛に襲われ、しばしば気絶することもある。特に「屋根裏部屋に近づいてはならない」という掟に背いて忌まわしいその場所に近づくと、ジャックの混乱は頂点に達する。屋根裏部屋には妹と弟たちの死体が放置されたまま。しかも、そこからは不気味な物音が聞こえてきて、すでに死んだと思われた父親が生きているかもしれないという“不都合な事実”が、いっそうジャックを苦しめるのだ。
劇中には、すべてがジャックの幻想であることを、観客に仄めかすような描写もさりげなく盛り込まれている。例えば中盤、臆病で寂しがり屋のサムが、砦の中でジャックに「ママのところに僕も行きたい。ひとりぼっちで隠れているのは嫌だ」と訴えるシーン。このサムのセリフは、本当はひとりぼっちで屋敷で暮らしているジャックの苦悩を代弁しているようにも読み取れる。ひょっとすると、こうした暗示的な描写によって「何かがおかしい」と気づき、本作のトリックを見抜いた勘の鋭い観客もいるかもしれない。
このように『マローボーンの掟』のどんでん返し=衝撃の真実は、いわゆる妄想オチのバリエーションのひとつだが、すべての真実を知った後でリピート鑑賞してみると、本作が実に繊細かつ緻密に作られていることに驚かされる。これは架空の幸せに満ちた“僕らの物語”を紡ぎ続けようとしたひとりの若者を主人公にした、このうえなく恐ろしくも切ないスリラーであり、はかない美しさに満ちたダーク・メルヘンでもあるのだ。